オタクの聖地、秋葉原。
今でこそポップカルチャーの中心地であるが、秋葉原は時代と共にその姿を変えてきた。
本記事では、電気街として栄えた時代の秋葉原を収めた、貴重な動画を6つ紹介する。
(昭和末期~平成前半)
さらに、現在の秋葉原がどのようにして成立したか、その歴史をたどることができる動画を、2つ紹介する。
電気街として栄えた秋葉原
6つの動画を、歴史が古い順に紹介していく。
この中では、バブル経済が始まった1986年が最も古い。
また、オタク街として全盛を誇る前の2003年が最新である。
1986年 (バブル経済の始まり)
1:19 から登場する「ラーメンいすゞ」は、今や伝説のラーメン屋として語り継がれている。
1:37 から登場するサトームセンは、テレビCMが印象的だ。
筆者は小学校低学年の時に見た記憶がある。
4:54 からは、総武線らしき電車が見える。
当時は単色で、シンプルなデザインだったようだ。
この頃が、家電の全盛期だろうか。
1990年 (バブル経済、終わりの始まり)
映像は、駅のホームから始まる。
今とそれほど変わらない印象だ。
7:03 から、駅前で行われていた実演販売を見ることができる。
販売士は、実演販売の達人と呼ばれるマーフィー岡田氏だろうか。
1990年は、ラオックス・ザ・コンピュータ館がオープンした年である。(4月)
この頃から、現在のマルチメディア街へと繋がる、新しい波が打ち始めていた。
1993年 (バブル経済の終焉、そして “インターネット” が流行語に)
秋葉原の映像は、1:47~8:10 にわたっている。
街の所々に、「パソコン」の文字が見える。
また、4:11 から、看板に描かれたガンダムのイラストが見える。
1993年は、ソフマップが総合アミューズメント館を出店した年である。(6月)
この翌年、秋葉原電気街の売上について、パソコン関係が家電関係を上回り、パソコン街へと変容することとなる。
2001~2002年 (ムービー写メールのサービス開始)
0:15 から登場する秋葉原駅前広場は、バスケットコートだろうか。
こちらは、2001年7月31日に閉鎖された。
1:11 は、おそらく歩行者天国の様子である。
まだ路上パフォーマンスはないようだ。
1:20 からは、フィギュアで有名な海洋堂の店内の様子が見られる。
巨大なフィギュアの迫力が凄まじい。
2003年 (第三世代iPodの発売)
多くの人で賑わっており、活気が画面越しでも伝わってくる。
店員の元気な宣伝も、良い味を出している。
この翌年、2ちゃんねるの某スレにて、ある恋愛物語が始まる。
これが後に、ドラマ化や映画化もして、社会現象にもなる「電車男」の原点である。
現在の秋葉原は、どのようにして成立したのか
現在の秋葉原は、様々な歴史の上に成り立っている。
今から紹介する2つの動画を視聴すれば、秋葉原の歴史の流れを掴むことができるだろう。
非常にクオリティの高い動画であり、投稿者の情報収集力や説明の分かりやすさに脱帽した。
地名の由来から、オタク文化の興隆まで
地名の由来から初代秋葉原駅の開業、電気街の衰勢、オタク文化の興隆まで、その歴史を一気にたどることができる。
現在の街の姿になるまでに、紆余曲折を経たことが分かる。
電気街の父・山本長蔵や、万世橋の謎について
アキハバラデパートや大食い食堂、2つの万世橋駅、万世橋の謎の小部屋・残る遺構など、失われた風景に焦点を当てている。
また、「山本長蔵」という、電気街誕生の鍵を握る人物についても説明されている。
彼の存在がなければ、今の秋葉原はなかったであろう。
変わり続ける街・秋葉原の、末永い発展を願って
以上、秋葉原の歴史を知ることができる動画を、合計8本紹介した。
いずれも、非常に貴重な資(史)料である。
筆者が初めて秋葉原に訪れたのは、2007~2008年頃である。
そのため、電気街として栄えた秋葉原 で紹介した6つの映像の風景は、自分はどれもまったく知らない。
しかし、それでもなぜか、得も言われぬ懐かしさを感じた。
筆者は現在のオタク街としての秋葉原が好きであるが、電気街だった時代の秋葉原にも行ってみたいと思う。
秋葉原は今後、どのような街へと変わっていくのか。
秋葉原の末永い発展を願い、ここに筆を擱くことにする。
関連リンク
最後に、秋葉原の歴史を学べるネット記事・書籍を紹介する。
コメント